このブログを読んで下さる皆さんに敬意を表して。
ここからは敢えて口語調で、Zenkenブログ史上、最も「腹を割った」ブログを書いてやろうじゃないか。

だから皆さんも、ぜひ心して読んでほしい。

まずは1年前のブログで書いた「定時帰宅」について。

▼1年前の僕が本気で書いたブログ
https://www.zenken.co.jp/blog/director/46845

まず、新卒1年目の目標を達成しているかどうか。

結論から言うと、達成はしている。
ただ、今の僕はその向こう側にいる。

「定時退社が目標」ではなくなった。

わかりやすく言うと、
「成果のためなら、僕が納得いくなら定時を超えても仕事をしたい」
と思っている。

「なんだ…丸くなっただけか…」

決して、そんなことはない。
僕は、あなたが思うよりも尖っていて生意気だ。

ただ、自分に足りていないものが明確になっただけ。
やるべきことが明確になっただけだ。

と、本題に入る前にこのブログのターゲットを明確にしたい。

メインターゲットは
「社会を理解した気でいる、自称賢めの大学生」
「社会人を経験して、社会に軽く絶望している大人」
だ。

僕は明らかに前者だったから、過去の自分に語りかけるつもりでブログを書こうと思う。
今よりもっとひねくれた、当時の自分に本気で届けるつもりで心を込めて書いてみる。

その前に、「どれくらいひねくれていたのか」軽く自己紹介をさせて欲しい。

僕は現役で慶應に入学し、遊び呆けていたが4年で難なく卒業した。
つまり、大した苦労もなく「慶應卒」という肩書きを手に入れられたわけだ。

「チョロいな」

結構、マジで思っていた。

あ、ちょっと待って欲しい。

勘の鋭いあなたなら、このブログを

「世の中を舐めていた学生が社会の厳しさを知って真面目になった」

なんていう、ありふれたストーリーだと思ったことだろう。

そんな話なら僕もたくさん読んできたし、何の役にも立たなかったことを僕は知っている。

そんなストーリーとは全然違う。

「阿藤快」と「加藤あい」ぐらい全然違う。

話を戻すと、苦手な勉強でも卒なくやり遂げた僕は結構な自信があった。
天才とは思ってはいなかったが、何でも要領よくこなせると思っていた。

だから必要最低限をサクッと稼いで、後は好きな時間を過ごそうと思っていた。
それが、自分の時間を大切にしている「かっこいい大人」だと思っていたから。
あくまで「仕事=お金を稼ぐ手段」だと思っていたし、自分ならある程度やれば
簡単にお金が貰えると思っていた。

ただ、実際に1年間ほど定時退社をしてみて思った。

「思っていたほど、カッコよくないな…」

カッコよくないと思った理由は色々あるが、1番の理由が最近わかった。

「仕事に没頭できていないから」だ。

「時間を忘れて仕事にのめり込むこと」

これが圧倒的にできていないのだ。

誤解されないために伝えておくが「今まで不真面目に働いていた」ということではない。
むしろ、仕事で手を抜いたことはないと思っている。

でも「没頭」はできていなかった。

ではなぜ今僕は「没頭」にかっこよさや憧れを感じているのか。

それは「没頭とは人生を、世界を肯定すること」だからだ。

没頭とは「好き」や「興味」が起点となって起きる現象だから、その「好き」が存在する世界や、「好き」なことがある自分自身を肯定しているのだと思う。
私のような基本的にポジティブではない人間にとって、「没頭」は生きていくために必要なこととさえも思える。

そして、その「没頭」を仕事でできたらどれだけ素敵だろうかと思う。
「起きている時間の大半を仕事に費やしているから」というのもあるが何よりも「没頭癖が身につくから」だ。

没頭癖?
大丈夫、ちゃんと噛み砕く。

前述の通り、そもそも没頭とは「好きで好きでたまらないもの」に対して、無意識に行われるものだ。
ただ、今の僕は自分の仕事が好きで好きでたまらないわけではない。
誇りを持って仕事に取り組んでいるし、自分に向いていないと思ってはいないが、好きで好きでたまらないわけではない。

そして、今はそれでも良いと思っている。

尊敬するマーケターの森岡毅氏も「会社選びについて」こんなことを仰っていた。

“どの会社を選んでも
大抵それは正解です。
(中略)
大吉なんかなくて
たくさんある吉か小吉か
中吉を一個引けばいいんです。”

つまり、仕事は好きなものでなくても問題はない。
ただ、森岡さんは最後にこう付け加えている。

”それを大吉にするのは
入った後の自分自身なんですよ”

僕はこの「大吉にする方法」が、「没頭」だと思っている。
つまり、「好きでも嫌いでもなかった仕事に没頭すること」が吉を大吉に変える方法なのだと思うのだ。

このように「没頭」を意図的に操れるようになったら、どれだけ人生が楽しいだろうかと。
だから、僕は仕事に没頭することに、没頭のコツを理解することに憧れるのだ。

そして、この「仕事への没頭」に対する憧れは「この会社で働く理由」にもなっている。
つまり、この会社には仕事に没頭している人が多いのだ。

仕事に没頭するためにはどうすればいいのか、自分なりに試行錯誤した(※)がどうしてもわからなかった僕にとって、お手本だらけの環境なのだ。

(※)自分が今まで没頭してきたものを書き出して共通点を探ったり、AIとの壁打ちをしまくったりしましたが腹落ちするものはいまだ見つからず…

お手本が色々あることで、「没頭にも色々なパターンがあること」にも気付けた。
これはなかなか没頭できていない自分にとって、大きな支えだ。

話を整理すると、この2年弱で仕事に対する考えが

「金を稼ぐための手段」から「人生を楽しむためのエンタメそのもの」

になってきつつあるのだ。

「この会社に入ってよかった~」

なんて、恥ずかしくてあまり言いたくはないのだが、そう言わざるを得ない。
嬉しい反面、小っ恥ずかしい。

以上が新卒2年目がそろそろ終わりそうな僕の「腹を割った感想」だ。

そして最後に1つだけ、自信をもってできるアドバイスがある。

「Zenkenの松島取締役に、【ありのままのあなた】について何でも腹を割って相談してみてほしい」

ということだ。

今のあなたに必要なことは、就活の慣例にならって、自分を取り繕うことではない。
「相談すべき人」「ありのままの現状」を相談することだ。

大丈夫。
松島取締役なら、あなたの全てを受け入れてくれるはずだ。

だって、

「サラリーマンなんかなりたくない」
「はっきり言って、働きたくない」

と言っていた僕にきちんと向き合ってくれたのだから。

あなたも大丈夫だ。
是非、一度相談の場を設けてほしい。

きっと大丈夫だ。

ちょっとひねくれたあなたの心にぶっ刺さるブログになることを切に願う。

(P.S)
もし、このブログを読んでもひねくれがとまらない方へ

恐らくあなたも、僕と同じく物事をナナメに見るクセのある人間なのだと思う。
学生時代、必死に文化祭に参加する同級生を心の中で嘲笑っていたかもしれない。

でも、僕はそんなあなたも悪くないと思う。
僕も基本はそっち側だ。

ただ。

ただ、そのナナメの先には「地獄」しかない。
そのナナメの視線は、やがて自分自身にかえってくるからだ。
その視線は自分が好きなものを、人生を、世界を否定することになる。

地獄だ。

でも、だからといってそう簡単に「肯定」が出来ないこともよくわかっている。
それはそれで、今までの自分を否定することになるから。

だから僕は「選択肢を増やす」という意識で過ごしている。
つまり、「ナナメの視線」を完全に捨てていない。

ひねくれた自分を肯定しつつも、「没頭」という経験もしていきたいのだ。
考え方の選択肢を増やしていきたいのだ。

「選択肢が少ない大人ほどダサいやつはいない」

これは僕が尊敬する人の言葉だ。

ナナメの地獄に落ちないために、落ちしてしまった地獄から這い上がるために。
歳をとって、否が応でも考えが固まってくる年齢になる前に。
今の我々に必要なことは

「ありのままの自分を受け入れてもらうこと」
「考え方の選択肢を増やすこと」

だと確信している。

以上です。
お読みいただきありがとうございました。