入社10年目、堀内、このたび会社を辞めます!

入社時からの目標だった10年目で、ついに起業することを決めました。

そのため、私堀内は退職します!

「退職する人がブログ書いていいの?」と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、
そこで書いちゃうのがZenkenなんです。

今回のブログでは赤裸々に、入社から現在に至るまでの辛かったこと楽しかったこと全部書いていこうと思います!

気付けば入社してから10年目。あっという間でした。
本当に様々な経験がありました……。

私のZenken人生を語るとなると、やはりこの人……

松島取締役を出さずして語ることはできません。
※ちなみに写真は、僕が出会ったころの松島取締役です

これまでの振り返り、入社から退職。
そして、起業家への第一歩をぜひご覧ください。

新卒面接 編

さかのぼること、2013年12月。
長野の大学3年生だった私は、大学院進学を前提としていたため就職する気もなく、半ば社会科見学のような気持ちでIT合同説明会に参加していました。

誰もが名前を知っている大企業が軒を連ねる中で、
集客力、ブースのカラーリング、スタッフの勢い……あらゆる面でひときわ目立つブースを発見しました。

そう、これがZenken株式会社との出会いです。

ブースだけでも充分目立つのに、スクリーンに自身の影を投影したまま、持ち時間全てを使って話し切っていた人こそ松島取締役でした。(当時は本部長)

(1ターム50分&移動時間5分のイベントで、Zenkenが55分話していた唯一のブースであったことは割愛します……)

この光景を見た私の印象は、
「この人(松島取締役)、オモシロイ!!」
「頭の回転どうなってるの?」
「台本用意せず話してるのかなー」

でした。
(舐めてはいません。当時の正直な感想です。)

まるでZenkenがこの合説の中心!と言わんばかりの主人公感でお話されていた取締役に心を持っていかれ、
結局3回も説明会を聞いた僕とZenken株式会社&取締役の出会いでした。
(後に堀内のストーカー事件として語られています。)

その後、面接を経て内定を頂いたのですが、
面接時に松島取締役に、「事業を作りたい!起業家になりたい!」と大口を叩いたことを今でも覚えています。

しかし、そんな僕の言葉を学生の戯言だと流さず、

「うちの規模の社長にはなれるし、その成長環境もチャンスも与えられる」

と本気で答えてくださったことが印象深く残っています。

気付けば、大学院進学の選択肢がZenken株式会社への就職に切り替わっていました。
憧れの力はすごいですね。(笑)

入社4カ月で新規事業配属 編

それから少し時間が経過しまして、本配属が決定した入社4カ月目の全体朝礼の時でした。

松島取締役が壇上に立ち、新規事業コンペの企画を本格的に事業として実現することを発表しました。

そこで「堀内。今日中に荷物まとめて異動!」と一言。

え……?
私本配属決まって2カ月目ですが……?

その日を境に、私は新規事業の専任担当になりました。

多くの上司がいた中心部署の営業から、数名単位の新規事業チームへの異動です。

正解も仕組みもない、自分で考え、とにかく試す。
そんな日々の到来です。

2年で5000万の開発費を使った結果、

……結局事業は立ち上がりませんでした。汗

当時、上司の村田主任は他事業の営業と兼務し、売上を上げながらも僕との新規プロジェクトを率いてくださっていました。

専任の私に対し、松島取締役は会社近くの某焼肉屋さんで、
「自分が責任者と思って意思決定をしてみろ」
と仰ったのを覚えています。

何もできない新卒に自分が責任者だと思い、「チャレンジしろ」と裁量権を与えられる組織ってすごいですよね。
今振り返るとあまりの重さに震えます……(笑)
(当時はただ喜んでました。自分の無邪気さに笑えます。)

綺麗に失敗をして、自分の無力さを痛感して幕を閉じた、私の初チャレンジでした。

プロジェクトを閉じることになった際も、私は「やる」と言い張っていましたが、
「堀内、異動」と一言だけ頂き、私はあっけなく異動となります。

そもそも村田主任という営業数字を上げ続ける人がいて、
村田主任の会社への貢献度や信頼があって初めてスタートした事業でした。

当時の私はそのことを理解できておらず、駄々をこねていたにすぎませんね。

事業を作るって簡単じゃないなと理解できた経験でした。

また、実際に事業チャレンジをして痛感したのは、「お金は本当にすぐ無くなる……」ということです。

何にいくら、どういう目的で、使うのか。
お金には数字の大きさだけでなく、意味を持たせないとだめだと学びました。

事業失敗からの再スタート 編

ここからビジネスマンとしての再スタートが始まります。

同期は営業数字で貢献をしていたり、制作物で表彰されたりと結果を出し始めていた時期です。

私は2年間赤字を作っただけの社員であり、特定のスキルもない。
はっきり言えば、会社への貢献度が低い社員でした。

私が松島取締役直下の新規事業を離れた後のキャリアは

① 黒田部長(メディアクリエイション事業部責任者)の元
→デザインスプリントとプロジェクトマネジメントを学び、採用サイトコーポレートサイトをリリース

② 松島部長(ヒューマンキャピタル事業部責任者)の元
→営業へ異動し、顧客対応を学ぶ。(戦場に裸で放り込まれたくらい辛かったです)

③ 本村取締役(eマーケティング事業本部責任者)の元
→真の意味で“営業とは何か”の神髄を直下でご指導いただく。(営業の“虎の巻”を作ってました)

「仕事を少し覚えてきたかな?」と思えば、異動を繰り返し、出来ない自分と向き合い続ける日々でした。

しかしこの間、営業スキル、顧客対応スキル、マーケティングスキル、プロジェクトの進め方……etc。
本当にありとあらゆるものを学ばせて頂きました。

何よりも学習し続けることの素地とその学習を楽しむスキルを身につけることができたと思っています。

・現状維持は衰退であること。
・プロ意識を前に置くこと。

を徹底的に学ばせて頂きました。


(この間に、リーダー→主任→マネージャーと役職を頂きました。)

まさかの再チャレンジ 編

そして7年目。
営業マネージャーになったタイミングで、松島取締役より「事業やりたいなら提案するか?」とお言葉を頂けました。

私が事業をやりたいことを7年経っても覚えていてくださった……。
(心の中では感動しました。)

突如舞い込んだ再チャレンジに意気揚々と役員の方々にプレゼンしました!

結果は……

NG………。

wifi事業の提案をしましたが、敢なく撃沈です。

その後も「面白い事業案あるなら持ってこい」と頂いたので、何度も提出しましたがほぼNGにて終了。
その繰り返しです。

当時は毎日新しいマーケットを見つけるなりメモ。
面白いビジネスモデルを見つけるなりメモ。
とにかくメモをしていました。

そのメモ達を並べて、
これとこれを掛け合わせると面白いか?
アメリカで伸びている事業は何か?
逆に日本で伸びていない業態は何か?

あらゆる問いを立てて、メモをかき回し、事業の種を作ることが楽しかったです。

なお、取締役はプレゼンしはじめて最初の方はもはや内容も見ずにNG出してたんじゃないかと未だに思っています。(笑)

新規事業 編

そんな中、終活事業での提案が見事通り、事業化が決定!

4人のメンバーで事業をスタートし始めました。

今度は、あらゆる経験もした上でのチャレンジです。
自信もありましたし、毎日がやりたいことばかりでワクワクでした。

何もわからない1年目と比べ、やりたいことやるべきことがたくさんありました。
何から取り組み、事業として成立させるべきか。
多くの問いがあり、自ら意思決定することの楽しさを感じる日々でした。

しかし、そう簡単には上手くいかないのが新規事業。
目指すべき姿、ビジネスモデル、業界のポジショニングもこれならいけると作り上げ、
改善を繰り返していた事業でしたが……

思うように前に進まない。
そしてマネタイズが苦しい。

ここだけでも語りたいことは山ほどありますが、やはり、売上とコストのバランスは事業を作るうえでとにかく大事です。
あるべき姿やビジョンを描くことも大切ですが、そこと両立し数字を実現する力が問われます。

私の数字に対する見込みが甘かったため、大失敗
結果、事業をたたむことになります。

自分の力不足を心から痛感し、新卒1年目の時とは比べ物にならないほど悔しかったです。

隠ぺいと謝罪 編

終活事業の終わりが見え始め、事業撤退の判断が濃厚になったタイミング。
それでも事業づくりの選択肢は私の中で消せず、

自らの起業準備を進めていました。
それも内密に……。

恰好がつかず、言い出せませんでした。

結果、最悪なことに私はある程度道筋が立ったタイミングのスタート3カ月前ギリギリで起業を伝えました。

また、最初の相談の際には、曖昧に良い部分だけを伝え、自分を守るような発言で話をややこしくしました。

ギリギリ以上に素直に話さない事に対してとにかく怒られました。

もちろん終活事業が赤字で、中途半端な点もプロとしてのスタンスをご指導いただきました。(当たり前ですよね)

たくさんお叱りを頂きましたが、
最終的に一番伝えてくださったのは、

・どんな時も嘘をつかない。

これが人生において、人の信頼を得るために大切である、ということです。

10年目にして、新卒時に指導されたことと同じことをご指導いただきました。

嘘をつかない。
この重要性を今一度教えて頂きました。

人は本当に言いにくいことに直面した時こそ、「嘘をつかないかどうか」が試されると思います。

松島取締役は、ご自分の経験を踏まえ、人として何が大切なのかを教えてくださいます。

「自分も失敗したから同じ失敗したほうがいいよ」という人ではありません。
本当に大切だと思うことを心から話してくださいます。

少し熱くなってしまいましたが、10年目にして新卒1年目のようなご指摘を頂いたこと。
本当に感謝しています。


▲ 入社式当日です

感謝と抱負 編

こんなにもチャンスを与えていただき、贅沢なほど挑戦させていただいた、Zenkenでの10年という期間。

新卒入社から培った経験。
営業やマーケターとしての能力。

本当にあらゆるものが財産です。

松島取締役へ人生を預けてみて正解でした。
人として向き合っていただいた、最高の時間です。

【抱負】

ここまでお世話になったZenken株式会社、取締役に恩返しするためにも、結果を出すために走ります。

3年以内に事業を確立し、組織を作ります!
そして報告に来ます!

見ていてください。

入社してから10年という月日をZenkenで、松島取締役の元で過ごせて本当に良かったと思っています。


▲ 佐渡トライアスロンミドルの完走後の一枚

採用していただき、ありがとうございました!

全く関係ありませんが、せっかくの退職ブログなので取締役とZenkenの思い出写真をフラッシュバックさせておきます。
トライアスロンに釣りにゴルフに、仕事だけじゃなく本当にあらゆる時間を共有出来て幸せでした!

以上
退職&起業ブログでした。

P.S.
これから就職活動をする皆さんへ

新卒10年間は、Zenkenを心からおすすめします。

思考力・行動力・人間力。
圧倒的成長が手に入ります。

ビジネスマン以上に人として向き合い成長できる場所がここにあります。

とにかく20代は圧倒的に成長したい。

そんな人はつべこべ言わずに、松島取締役へ人生を預けてみては?