こんにちは!
ITベストサポート部R&D事業部(以下、R&D)のフロントエンドエンジニア、竹内です。

2019年の9月に入社したばかりの私ですが、前職はオーストラリアでバリスタ、バーテンダーを、その前は兄と共同で英語スクール、シェアハウス、国際交流イベントを運営していました。

はじめまして

WEB業界とは全く関係ないところで働いていた私が学生の頃モットーにしていたのは「サラリーマンにはならない」でした。

安定した生活をして生涯椅子に座って仕事をするなんて絶対嫌で、だからプログラマーなんてもってのほか。高校卒業後は沖縄の西表島にツアーガイドをしに行っていました(笑)

ツアーガイド時代

そんな僕が信念を曲げて「全研のR&Dでエンジニアとして働きたい!」と思ったきっかけを、私のこれまでと一緒にお話ししたいと思います。

東京で事業を興す!

19歳で東京に上京し、英語の専門学校に入学した私。
新しい土地で友達もできず、学業にも精が出ず、将来何をするか迷っていた頃、友達づくりがしたくて、とある国際交流イベントに参加しました。

そこで出会ったアフリカ系のイベント主催者に「週1回バイトしてみない?」と誘われたことがきっかけでバイトを始めます。
この主催者の元でイベントのマネジメントを学び、1ヶ月する頃には集客からイベントの主催の仕方まで身につけていました。
そこで「あれ、これ自分でもできるのでは?」と思い、自分で国際交流イベントの主催を始めることにしました。

しかし最初のイベントは参加者が3人しか集まらず、いきなり壁にぶち当たりました。
考えた結果、自分ならではの方法で集客に力を入れることに。

私の通っていた専門学校は高田馬場にあったのですが、高田馬場には日本語学校が多くあり、たくさんの外国人が道を歩いています。
そこで、お昼休みの時間に日本語学校の前で待ち伏せし、出てきた人達にアタックする作戦で外国人とのコネクションを増やしてみることにしました。

お昼の鐘が鳴ると外国人が校門から出てくるので、一気に畳み掛けます(笑)
最初は1日で30人に声をかけ、そのうちの10人とLINEを交換することができました。そして、なんとこの中の5人が週末のイベントに来てくれたのです。

これを毎日続けていくうち、多くの外国人とLINEの交換をすることができて、高田馬場の道を歩くとすぐ知り合いの外国人に会うようになりました。その知り合いが知り合いの外国人を呼び、その結果、私のイベントには毎週30人以上のお客さんがコンスタントに集まるようになったのです。

イベント企画

ただバーに集まって日本人と外国人が話すだけのイベントですが、私のように東京の街で孤独感を感じている人たちが友達を作って笑顔で帰っていきます。
通っていた専門学校を辞めて、この事業で生きていくことを決意した瞬間でした。

イベント中

イベント参加者が毎週30人くらい集まるようになったところで、参加者を中心に英会話スクール、日本語スクールの事業も始めることにしました。この事業が軌道に乗ったことで生計がたつようになり、事業の助っ人としてプログラマー兼デザイナーの兄がジョインし、事業拡大を狙うことにしました。

兄と
▲左が兄です

二人で毎晩お酒を片手に模造紙に事業のアイディアを書き出しては天井にぺたぺたと貼っていき、プランを練ります。

事業アイディア

考えに考え抜いた結果、「国際シェアハウス」を作ることを決心しました。
早速ぼろい一軒家を借りて改装を始め、住居者はイベントの参加者の中から募り始めます。

なんということでしょう

なんということでしょう…。
プランを練ってから2ヶ月、ただの一軒家から国際交流シェアハウスが誕生しました。

この家ではBBQをしたり、いろんな国のボードゲームをして遊ぶイベントを開いたりします。

国際シェアハウス

そうしてシェアハウス事業が軌道に乗り出して1年。
事業への思いは徐々に薄れていき、最後は事業を兄に任せて私はオーストラリアへ旅だってしまうのでした。

新しい事業の失敗

日本を発ち、兄に事業を託すことになってから1年。もう一度事業がしたいと思い始めます。
オーストラリアで暮らしている間、何度か引っ越しをしました。
その時に使っていたサービスが「Gumtree」というもの。

日本でいうメルカリのなんでも版のようなもので、車を売り買いできたり、部屋を貸し借りできたりします。

不動産を経由しないで個人間で部屋の貸し借りができるサービスは日本では浸透しておらず、これは狙い目だと思ったため、オーストラリアから日本への帰国を決意します。

帰国後、ウェブサイトを作るためプログラミングを独学で始めます。
なんとかWordPressを使ってWebサイトを形にし、サービスの対象となる賃貸のオーナーさんの家を調べ上げて、何件も電話をかけました。しかしうまくいかず、自分のサイトのクオリティにも自信が持てずにいました。

この際、兄と事業をしていた時に出来た事業家の仲間達に相談したり、考察を重ねたりした上で、ビジネスモデルに欠陥があることに気づき、結果的にこのサービスは断念せざるを得ませんでした。

全研との出会い

ビジネスが失敗し、東京で行くあてもなく、次のステップを決めあぐねていた頃、知人の紹介で全研に出会いました。

R&Dのメンバーは「こういうサービスを作りたい、こういう技術を使ってみたい」と、私に熱く語りかけ、「サラリーマン」に対する先入観を取っ払ってくれました。

今までは1人でサービスを作ることにこだわっていましたが、このメンバーとなら一緒に何かを成し遂げたいという思いを抱くようになり、入社を決めたのでした。

私の思いと全研のミッション

入社後1ヶ月してから早速、新事業立ち上げプロジェクトにアサインされ、LaravelとVue.jsを使ってSPA(Single Page Application)のサイトを開発しています。

これだけでも私のしたかったことが実現されつつあるのですが、それ以上に驚いていることは、この会社では新しいことが次々と起こるんです。
日本語学校の設立だとか、インドのエンジニア人材と日本企業をマッチングする事業だとか。
そういったグローバルな環境の中、つい最近はインド人のお二人がR&Dにジョインし、英語を話しながら仕事をすることになりました。

R&Dのメンバーとサービスが作りたくて全研に入社をしたわけですが、もともと国際交流イベントを開くなどして、「外国人が日本で友達を作る、居場所を作ること」に幸せを感じていた私は、今、この会社のグローバルインバウンドの動きに強く惹かれています。

会社のビジョンである「そこにない未来を創る」に「ただのプログラマー」としてではなく、もっと能動的に色んな形で関わっていけるような存在になりたいと思っています。

R&Dの皆さん

R&Dには生まれ育った環境、考え方が違う人ばかりで、こんな異業種で働いていた私でもすぐに溶け込めました。
グローバルなR&Dメンバーの仲間になってくれる人がいたら嬉しいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。