こんにちは。
リンゲージ事業部の石井です。
全納会にて上奥取締役からプレゼンがあった【グローバル思考】は記憶に新しいところ。
世間で言う、グローバルスタンダードっていったいどういうことなのか?
島国である日本人には捉えづらいようです。
皆さんはALTってご存知ですか?
皆様の出身の高校にも、外国人の英語を教える先生が居た方もいるのではないでしょうか?
そう、ALTとは、小学校・中学校や高等学校で語学指導に従事する外国語指導助手の先生たちのことです。(ALT:Assistant Language Teacher)
先日、リンゲージ事業部ではそんなALTの方々を研修プログラムでお手伝いをすることに。
学校へ配属されるALT総勢200名の外国人に向けて、ALTの在り方や、(彼らにとって)異文化理解の研修(セミナー)を行いました。
私が営業の立場から、研修を見て改めて気づいたことや、まだまだ日本って不思議な、特殊な国だな、と感じたこと(※主観です)をいくつか挙げてみます。
▲ 個人情報が含まれるので研修の様子をイラスト化してお送りします。
うるさい!と感じるほどのグループワーク
外部研修を受けた経験のある方は分かると思いますが、研修にはグループワークや、数名で話し合った結果をリーダーが発表するような機会がありますよね。
そんなとき、最初は小声で少しずつ、おとなしく相談し合っていたのではないでしょうか?
話が盛り上がってくれば、日本人間でも大声になりますが、外国人は違います。
最初からMAXテンションで語り合います!
四半世紀ほど前になりますが、私もアメリカの大学で6年間学びました。
その当時、多国籍な学生のディスカッションクラスでも、なかなか話さないのは日本人の私だけでした。
アジア圏の韓国人、中国人でさえ、文法が間違っていても、はっきり自分の英語で、自分の意見を言うのです。
日本では寡黙、察することは美徳のように捉えられがちですが、私が感じたのは、海外では相手に伝えなければ何も変わらない、進まないということ。
今回の研修を見ても明らかでした。
なんだか、日本人とは違うなぁ。
だんだん、日本人は果たして国際社会で立ち向かえるのかなぁ、とさえ感じてきました。
とはいえ、各国によって国民性は違う!
外国人にもそれぞれ個性はありますので、全員が全員はっきり、明るく、主張が強いという訳でもありません。
今回の研修は、200名2つに分けて行われ、グループ1は北米の方々メイン、グループ2は英・オセアニアメインといった方々の参加で開催されました。
研修を担当した講師は、我がリンゲージ事業部の要、Robert Swan講師!
彼自身、TESOL(英語を母国語としない生徒に英語を教える教授法)の資格を持ち、92年から高校生を教えてきた経験がある大ベテランです。
レクチャー中でも彼の話に食い入るように聞いているALT達。
でも、時折、Robertさんが交えるジョークや具体的な経験談への反応がグループによって違うことに気づきました。
北米メインのグループは、終始非常に賑やかで、反応が分かりやすく、多くの笑いが起きました。
一方、英国・オセアニアメインのグループは、シーンとして静かな時が多く、真面目に捉えている方が多かったです。(グループワークは賑やかでした)
こういった違いを見ることが出来る機会はめったにないことで、良い経験になったとともに、島国日本人としては【外国人】として一括りにするのではなく、価値観の違いが存在することを理解しておくべきだと感じました。
なんだか、もっともっと他国の人たちについて知りたいと思い始めました。
あまりの文化の違いに困惑する外国人たち
以前「インドの新卒社員向けの異文化理解研修」のブログでも例が挙がっていましたが、Robert講師がレクチャーで引用したのは『異文化理解力/エリン・メイヤー著』の国によってコミュニケーションスタイルがHigh Context/Low Contextに分けられるというもの。
日本はその価値観、文化、習慣において極端にHigh Context。
つまり、コミュニケーションにおいては、いわゆる『行間を読む』、『争いを避ける(第三者の介入で解決)』、『Yes、Noをはっきり分けない』、『KY:空気を読む』を重んじる文化に分類されています。
例えば、問題が起きた場合、西洋文化なら、直接その個人同士で解決を求めるところを、日本文化では上長や第三者に報告し解決策を仰ぐことが基本だったりします。
また、日本人の話には、名詞(名前)が文章に無いことが多く、誰から誰に向けた話なのかが曖昧だったりすることが多い、とも教えていました。
なんだか、コミュニケーションにおいて非常に反省すべきことのような気がして、少々恥ずかしくなってきました。
『郷に入れば郷に従え』は間違い!?
ALTの外国人たちは非常に複雑な状況で日本に滞在することになります。
それは、日本の文化に馴染んでいかなければいけないのに、英語という言語や欧米文化を教えていくという立場だからです。
学校では、会話がまだまだ出来ない学生たちに、「いかに興味を抱かせ、会話させるか」を考えて日々取り組み、
教員たちとのコミュニケーションでは日本の社会や働き方に慣れなければならず、自宅では住民としてコミュニティのなかで、難しいと言われるひらがな・カタカナ・漢字という言葉を駆使しながら生活をしていかねばなりません。
つまり、郷に入れば郷に従え、は彼らには難しいのです。
アイデンティティは保ちながらも、伝えていかなければなりません。
私もアメリカ大学時代には自分の日本人のアイデンティティはどうやっても変わらないし、でもアメリカの文化に順応しなければいけないというジレンマに襲われたこともありました。
そんな状況下に置かれるのに、長年日本で講師を勤めているRobert講師は彼らに出来る限り順応して欲しいと、以下を伝えていました。
日本では
・『我慢が友達』
・『謙虚に!多くを学ぶ姿勢を持て』
・『自分のエゴはポケットに』
・『郷に入れば、郷をリスペクトしろ』
どれも強く印象に残っています。
でもよく考えると、なんだか、「戦時中の日本か?」と思ってしまったのは私だけでしょうか?
根本が変わっていないのかな、日本は。
まとめ
Common Sense(常識)って何でしょう?
グローバルスタンダードって何でしょう?
この特殊な国や文化に対して、私はなんだか、ALTの彼らが後々日本を嫌いになってしまいそうで怖いです。
日本は長い間、学生は日本の社会で機能するように、皆同じ人に育てていくことを強いてきました。
令和の今でもまだその名残があるようです。
文化や価値観の違いは、簡単に、すぐに理解できるものでもありませんし、ギャップが埋まる訳ではありません。
これからの日本は“超”が付く高齢化社会へ突入。
生産年齢人口は減少し、外国へまたは外国人の働き手流入はマストです。
それならば、少しでも早く他国を理解しようと努めたほうが良くないですか?
私はこの研修の気づきから、もうちょっと日本人が外国人や文化に歩み寄っていく努力をしてもいいと感じました。
言語はその第一歩となります。
外国人が難しい日本語をマスターすることも必要かもしれませんが、日本人が英語を学ぶほうが圧倒的に早くないですか?
そこから、グローバル思考が始まります。
日本人の誰もが普通に英語を話せる日が来ることを願い、これからも語学研修を推進していきます。
以上、リンゲージ事業部の石井でした。